ゲームと子どもの発育について

ここでは子どもの発育といわゆる「ゲーム」について私なりに考えた事を書いています。また「ゲーム脳」についても私なりに書いています。かなり長文ですがご興味のある方は下記「続きを読む」よりどうぞ。

「ゲーム脳」とは何か

突然ですが「ゲーム脳」という言葉をご存知でしょうか。「ゲーム脳」とは携帯ゲーム機、家庭用ゲーム機、携帯電話(スマートフォン)、パソコンなどでゲームをプレイすると、脳に様々な悪影響を及ぼし知能が低下すると言われるものです。元々の「ゲーム脳」という言葉は、2002年頃にある研究者の出版した本のタイトルの一部に使われた「造語」でしたが、出版当初大々的にメディア(当時はテレビ)で取り上げられたため大きな話題になりました。

実際に2002年に出版された「ゲーム脳の恐怖」という本の中では、テレビゲームのテトリスなどをプレイしている人の脳波が減衰しており、その脳波が認知症患者の脳波に酷似している事から知能低下が見られるとしています。更に普段ゲームをしていない人が一時的にゲームをしても、下がった脳波の回復が早いので問題ないのですが、普段からゲームをしている人はゲームを止めても脳波の回復が遅くなっており、その状態も認知症患者と酷似しているとしています。それらのようなゲームをした時に起こる脳の症状を「ゲーム脳」と定義しているようです。ただしゲームでは記憶障害や言語障害などの認知障害、脳の梗塞や萎縮といった一般に知られている「認知症の症状」は一切伴わないとしています。若い人では仮にゲームをする習慣があって脳に悪影響を及ぼしていても、脳の他の場所が働いているので普通に会話も記憶もでき、その点については認知症の症状とは大きく異なるとしています。よく分からん・・・

それに加えてゲーム脳の人は「視覚系の神経」が優先的に働くため、前頭前野(考える事ができる場所であり脳の最高中枢)の活動が弱くなるとされています。頭で考えるよりも先に目で見たものに対して反応するからです。それによって「じっくり考える」という事ができなくなり、咄嗟に湧き上がる感情を抑える事が難しくなるために「キレやすい」状態になるそうです。特にこの「キレやすい」というのが凶悪な犯罪に繋がる可能性があるとしていて、例えば深夜にホラーゲームを行うと周囲から与えられる恐怖に対して自分を過度に守ろうとするようになり、そこに「キレやすい」というのが重なる事で過剰防衛(言葉が適切かは分からないが、被害妄想のように自分で勝手に理由を作り、相手に対して乱暴な行動を起こすらしい)にも繋がるとしています。


メディアにおける「ゲーム」と「犯罪」について

メディアがゲーム脳の「凶悪な犯罪に繋がる可能性がある」という部分を特に誇張した事で、その部分だけが世間に広く認知されてしまいました。当時は特集番組も数多く作られ、そこでは様々な教育者や研究者を招いてこの造語に同調させ、ゲームをする事が絶対悪かのように扱いました。その流れもあってか、この言葉が登場した以降でニュースになるような事件が起こると、必ずといってゲームなどと絡めた報道を行うようになります。現在においてもその傾向は残っているのですが、その大きなきっかけになったのが実は「ゲーム脳」だったのです。ただしこれはきっかけの「一つ」に過ぎず、実際にはそれ以前から「ゲーム」に対する世間の印象は悪くなっており、「ゲーム脳」はその下地があったからこそ広める事ができたのです。ちなみに私は確認していないのですが、参考映像として使われる事が多かったのはあの「バイオハザード」というゲームだったそうです(笑)

特に「ゲーム脳」という言葉が存在する以前にゲームに対する印象を悪くしたのが、1988年の「東京・埼玉連続幼女誘拐さつ人事件」です。この事件の犯人がゲームやアニメ、漫画などの収集癖を持ついわゆる「オタク」だった事、またその一部にホラー(グロテスクなものを含む)や幼女(いわゆるロリコン)等に対する興味関心があった事、「オタク」という言葉が1980年代に生まれていて当時タイムリーだった事、あまりに凶悪な事件だった事・・・などが相まって、この事件をきっかけにそれらの趣味を持つ「オタク」が世間から敬遠されるようになったのです。そのためこの事件以降では明確な根拠もないまま、「ゲームやアニメ、漫画などによる影響によって犯行に繋がった」かのような報道が普通に行われるようになります。特にオタク的な趣味が「子どもを持つ親(特に昼間テレビを見ている主婦や祖父母)」から敬遠された事で、そのような偏った報道に対して違和感を持つような人は当時ほとんどいませんでした。いくら漫画の事をこよなく愛していても、そのような報道に対して批判的になるという事は上記の事件を肯定していると思われるからでしょう。それだけこの事件による影響は大きかったのです。

ゲーム脳という言葉を世の中に浸透させる事ができたのは、そのようにこの事件が起きた以降ゲームに対する印象が既に良くなかったからです。ちなみに事件とアニメやゲームなどを絡める報道の例としては、2016年朝霞市女子中学生誘拐監禁事件、2015年川崎市中1男子生徒殺害事件、2014年倉敷美少女行方不明事件、2014年佐世保女子高生殺害事件、2013年三重県中3女子死亡事件、2013年三鷹ストーカー殺人事件、2008年秋葉原通り魔事件、2007年京田辺警察官殺害事件などが挙げられます。いずれも事件の犯人か被害者、あるいはその両者がアニメかゲーム好きという共通の趣味趣向があるそうです。キリがないのでこのぐらいにしますが、調べただけでもこれだけ出るのでこの他にも事件の大きさに関係なく相当数あると思われます。

例え凶悪な事件であっても「警察などから得られる情報は私達が思っている以上に多くない」のです。これほどの凶悪犯罪が起これば尚更、事件を大々的に報道し多くの国民に事件を知ってもらう必要がある訳ですが、事件の詳細が分からない状態で「犯行の原因を捏造して報道する」訳にはいきませんよね。そこでゲームやアニメなどが使われるのです。前述の事件報道によってゲームに対する印象は最悪なので、例えゲームやアニメを悪者扱いしても誰も文句を言いません。もちろん今ではスマホの普及によってゲームやネットが非常に身近なものとなった事もあり、ゲームやアニメを絡めた報道を行うと度々ネットでは反発が起こるようになっています。しかしメディアからすれば「ゲームやアニメを悪者」と決めつけてしまえば、あとはその結果に繋がるように報道すれば良いだけですから、断片的な情報しかない場合でも報道する事ができるので都合が良いのです。またそのように報道すれば視聴者の不安を煽る事ができるため、世論(その「世論」に若い人は入っていない)を加熱させる事ができますから、例え文句を言われようと現在でもそのような報道を続けているのだと私は考えます。


メディア側は「同調させたい」という思惑を強く持っている

特に日本人はテレビや新聞を中心としたメディアに対する信頼が異常に高く、「多くの人が言っている=正しい」という集団の考え方を強く尊重する民族性があります。加えてテレビや新聞から情報を得ているのは誰か?と言ったら「高齢者」ですよね。インターネットがこれだけ普及していても少子高齢化の進行により、テレビや新聞からしか情報を得ていない高齢者というのは世の中にたくさんいる訳です。高齢者はテレビや新聞からしか情報を得られない時代から生きているため、テレビや新聞が言う事は正しいものと思っています。更に高齢者はゲームやアニメ、ネットなどがない時代から生きてきたので、「それらを悪者」とする論調はそのような人たちには受けが良い。高齢者は潜在的にメディアの言う「ゲーム=悪者」という考え方に同調させやすいのです。

度々ネットで話題になる「若者ガー」「ゆとりガー」などが多いのも同じ理由ですね。そのように例えばゆとり世代を批判するような論調はあっても、ゆとり教育を推進した「ゆとり世代よりも上の世代」を批判する事はほとんどないと思います。これは何故かというと「テレビや新聞を信用している世代」を敵に回す事ができないからです。それに対して文句を言う視聴者もほとんどいない(そもそも若い人はテレビも新聞も見ないため)事もあって、主な視聴者ではない若者はいつも蔑ろにされてしまうのです。私としてはそのような世の中の仕組みや流れを利用し、テレビや新聞を中心とするメディアと協力して「ゲーム脳」はもちろん「ゲームやネット=悪」という流れを作り出したのではないか?と思うほどです。ゲーム脳という言葉を一度作ってしまえば、それ以降ゲームを一方的に悪者に仕立て責任を押し付ける事ができますからね。何かに責任を押し付ければそれを報道する「報道側」が批判される事も少なくなり、報道側の意思で報道したいように報道できますから、ゲーム脳という言葉はその意味でもメディアにとって非常に都合の良い言葉だったと思われます。


「ゲームが犯罪率を上げる」というようなデータは存在しない

「ゲーム脳」及びゲーム等と絡めた報道に関しての一番の問題点は、「ゲームの影響によって知能が低下したり、人格形成に悪影響を及ぼす等によって犯罪率が上がる」といったデータがないという事です。例えば日本初のコンピューターゲームが登場したのは1973年、日本初のゲーム機は1975年に登場(詳しくは→wikipedia - コンピュータゲームの歴史)しています。また世界初のテレビゲーム機はそれより以前の1972年、ソフト入れ替え式ゲーム機は1977年から登場しています。その後、銃を打ったりするいわゆる「FPSゲーム」は1990年代から登場、合わせて1980年代後半からは対戦型のいわゆる「格闘ゲーム」の原型が登場しています。また現在ではスマホの普及によって世界中であらゆるジャンルのゲームが身近な存在になっており、特に日本では各世帯における60%以上がスマートフォンを、また若者では90%以上所持とも言われています。ちなみにスマートフォンにおける「ソーシャルゲームの課金額」は世界中で日本が最も高いそうです。

それによって、例えば銃を打ったり拳で殴ったりして敵を殺すようなゲームをする機会は誰にでもあります。何故ならスマホさえあればそのようなゲームがどこでも何時間でもできるからです。もしそのようなゲームを継続してプレイする事が知能や人格形成に悪影響を及ぼすとすれば、ゲーム脳を持つ人間が日本のみならず世界中で増え続けており、既に歯止めが効かない状態になっているという事になります。そうであれば世界中の国々が団結して取り組まなければならない問題です。しかし世界中どこを探しても「ゲームによって犯罪率が上がった」というようなデータは存在しないのです。むしろ海外では人気のゲームが発売される前後になると犯罪率が低下するというようなデータが存在しているぐらいです。

ゲームをプレイする「程度の問題」だとすれば、時間が空く度にゲームをプレイしていれば最終的な総プレイ時間は相当なものです。パズドラ然りモンスト然りポケモンGO然り。今どきスマホを持っているのに1日30分しかゲームをしない若者なんてそれこそ希少種ですしね。もしゲームが原因で知能が下がったり人格が狂ったりしてそれが犯罪に繋がるのであれば、ゲーム好きないわゆる「オタク」だけでなく、スマホを持っている人のほとんどが凶悪犯罪者または犯罪者予備軍にされてしまいます。


「ゲームだから」とよく言われるが、ならば他はどうなのか?

ゲームやアニメだから影響が強く、テレビ番組や映画は影響が弱いのでしょうか。「このアニメを見て影響されて人を殺めた」というのが正しいなら、テレビのバラエティ番組における体を張ったネタや、サスペンスドラマや映画の残虐なシーンの影響を受けて人を傷つけてもおかしくありませんよね。乱暴的なシーンや残虐的なシーンのあるゲームはもちろんあるでしょうけど、例えば映画、アニメ、ドラマなどでもそういったシーンのある作品はたくさんある訳です。しかしテレビや雑誌では「ゲーム、アニメ、ネットなどが悪い」という意見はよく聞くのに、「テレビが悪い、ドラマが悪い、映画が悪い」という意見がほとんどないのです。「犯人はゲームやアニメが好きだった」という事件は数多く存在するのに、「犯人はドラマや映画をよく見ていた」という事件はほとんど存在しないですよね。これは明らかに不自然です。

「そのようなシーンに何故興味を持つのか?」を全く考えずに、「ゲームやアニメ等を悪者と決めつける」という事は「凶悪な犯罪を犯した人が何故その犯罪を犯すに至ったかを考えない」事と同じです。それでは「仮に社会にある問題によってその犯罪が引き起こされたとしても、その原因を考えずに責任転嫁する」という事ですよね。本当の原因を考え、それを社会全体で改善しようとしなければ、同じような事件はまた繰り返されるのではないでしょうか。これは私の信条ですが「当たり前とされる情報をそのまま受け入れる」だけでは何も変わりません。例えテレビや新聞などが「多くの人から受け入れられている」としても、それがイコール「信憑性が高い」とは限らないのです。あらゆる情報に対しても決して油断せず疑問を持ち、その積み重ねこそが世の中をより良くしてと私は思います。


時間を奪われるのは決してゲームだけではない

さて、ここまでは主にゲーム脳について書いてきましたが、ここからは私なりに子どもの発育とゲームの関係について書いてみたいと思います。私としては「ゲームが脳に悪影響を及ぼす」のではなく、ゲームを長時間かつ長期間行う事によってゲーム以外の事に時間を割く事ができなくなり、脳の使われる部分がゲームだけに偏る事になるのではないか?と考えています。そう考えればゲームに限らず、あらゆる事において「長時間かつ長期間行う」事が脳に悪影響を及ぼすと言えると思います。

例えば「絵を描く」という事を長時間かつ長期間行えば、脳の「絵を描く」機能が鍛えられる事で脳が絵を描く事に特化するようになります。絵を描く事に集中している事で、絵を描く事以外には時間を割く事ができなくなるからです。それによって絵を描く事以外の事がどうしても疎かになり、「絵を描くのは上手いが音痴」「美術の事はよく分かるが運動は苦手」というように、得意な分野と不得意な分野とで大きな差が生まれる事になります。そのように得意な事と不得意な事があるのは人として何ら不思議な事ではありませんが、例えば「絵を描くのは得意だが人と話すのは苦手」というように、日常的に必要とされる能力が不得意になる事も十分あり得ます。小さい頃から絵に没頭するあまり家族以外の人と会話をしなかった事で、コミュニケーション能力が鍛えられない場合があるからです。それが人の目に触れると人によっては「変な人」という印象を与える事もありますが・・・何が言いたいのかというと、これは「ゲームだけでなくあらゆる事において起こり得る」訳です。ですのでゲームのせいにするのは全くの筋違いですよね。そうして何かに責任を押し付けると、自分のせいで何か重要な事を見落としていた時でも責任を転嫁させていまい、失敗から何かを学ぶ事もできなくなります。

更に、ゲームを禁止されて育った子どもが親となった時、その「ゲームが悪い」という固定概念を何の疑いもせず子どもに押し付ける事があります。そうして親から子、親から子・・・へとひたすら繰り返されていくのです。確かにゲームは娯楽であり時間が空いた時などに行うべきものですし、時間を忘れてしまうほど熱中しやすく、他にすべき事がある時には大きな誘惑になります。子どもが他に何かすべき事があるのにそれを差し置いて毎日何時間もゲームをすれば、それは両親からすれば「時間の無駄」ですし紛れもなく「ゲーム=悪」と言えるでしょう。しかしそこで「ゲーム=悪」と決めつけたら「考える」という事を止めてしまいます。そうではなく「ゲームの誘惑に何故負けてしまうのか」を考える事が重要なのです。

では、何故ゲームの誘惑に負けてしまうのでしょうか。それは子どもが「ゲームよりも熱中できるもの」を持っていないからです。ゲームに限らず何かの誘惑に打ち勝つためには「絶対的な将来の夢」が必要です。子どもに夢を与えるきっかけを作るのは周囲の環境、特に一番近くにいる両親です。もちろんこれは「○○をしろ」と子どもに夢を強制するのでは意味がありません。親は最初のきっかけだけを与え、その後は「自分の夢を実現するために今何を優先してすべきか?」を親と子どもで一緒になって考える事が重要です。自分で考えた疑問や課題を自分で解決していけば判断力を鍛える事ができ、それが大きな自信に繋がり、自立していきます。子どもがゲームの誘惑に負けてしまうのはそうした親と子どもの意思疎通がないからだと私は考えます。よって例えば「何時に寝ろ」「ゲームをするな」とただ命令するのではなく、「何故この時間に寝なければならないのか」を子ども自身に考えさせましょう。その答えに結びつくための助言をするのが両親の仕事であり、その繰り返しが教育になるのです。

最近ではゲームをプレイする事を仕事にしている人もいます。もちろんそのゲームを作る事も仕事になりますし、絵を描いたり音楽を作ったりする仕事も場合によってはゲームに関わる事ができます。人を楽しませるという意味でゲームをする事は決して無駄とは言えないのではないでしょうか。ゲームやアニメは今では子どもの同士のコミュニケーションツールの一つにまでなっていますし、日本のみならず世界中で受け入れられている人気コンテンツです。それこそ巨大なビジネスになります。それを両親を含む大人が禁止する事では「同年代との会話についていけない」という事が社会に出た後も続く事になり、それは慢性的なストレス体質の原因になります。

実は私も小さい頃から両親によってゲームを禁止されており、更に私の場合はゲームだけでなくマンガやテレビ番組も制限されていました。ですので経験上「完全禁止」は良くないと思っています。当時のゲームやアニメの良さを今になって知っていつも寂しくなりますからね・・・「懐かしい」という会話が共有できないのは社会人として大きなデメリットになるのです。もちろん前述した通り、日常生活に必要な事を削ってまでゲームに没頭すれば削った部分は二度と返ってきません。将来の夢があるなら今何を優先すべきかを考えましょう。